20分ほどで軽井沢に到着。今回の目的は初のアウトレット。
軽井沢はさすがに寒くて山にはまだ雪が残ってた。スキーヤー&ボーダーの姿もちらほら。
本当にすぐ近くにある軽井沢プリンスのアウトレットモール。
あまり時間はなかったんだが、小諸観光+移動で疲れたのもあり、Prince English Tea Houseで、ちょっとひと息。紅茶とケーキで1100円は高いと思うが紅茶は本当においしかった。
ショッピングエリアは、ゾーンがあれこれ分かれてて、懐古園とはまた別の意味で一日いても飽きないかんじ。半額どころか70-80%引きとかザラで感動。ワンピースやらセーターやらシャツやら…あげくの果てにマットやらテーブルクロスまで買い込んだので腕がブルブルというかワナワナ。
駅でジャムやらチーズやらベーコンやらソーセージやら買い込んで最終バスで横川へ。
横川駅では峠の釜めしが売切れ気味で買えたり買えなかったりで、念のため軽井沢で買っておいた私は勝ち組(-.-)
釜めし食べながら高崎へ。高崎から快速で上野へすいすい。
充実の二日間。正直、時刻表さえ事前におさえておけばツーデーパスはかなりお得だと思いました。
時間に迫られつつ小諸蕎麦をハシゴ。三之門前の老舗「草笛」に行くつもりだったんだけど、本日終了になっていたので、お隣の手打ちそば「水車」へ。
もりそば780円。
グランドキャッスルホテルの中にあるお蕎麦屋だし…と思ってたらけっこうおいしい。「そば七」に比べるとつゆは甘め(というかスタンダード)で大根おろしの入ったおちょことくるみのペースト、それに普通のおちょこ、それに野沢菜がついてくる。これで3つの味を楽しんで…ということらしく、実際けっこう楽しかった。
観光案内所で荷物を受け取って小諸駅へ。案内所には驚いたことにおばちゃん1号と2号が揃っていて、ものすごいにこやかに送り出してくれた。ありがとう、おばちゃん!帰りに寄ったお土産屋のおばちゃんも蕎麦まんじゅうくれたし、小諸のおばちゃんはみんないい人だ!!
しなの鉄道で小諸から軽井沢へ。
小諸懐古園。ここはもともと豊臣秀吉に仕えた仙石秀久公のお城で街の下のほうにあり、誰ものぞけないことから穴城、と呼ばれていたんだとか。おばちゃん1号2号いわく、お城が街より下にあるのはけっこう珍しいことらしい。
三之門。
若山牧水の碑。「ほろびしものはなつかしきかな」の言葉が胸に染みる。
齢500年(推定)のケヤキ。推定ってなんだ。しかし松といいケヤキといい寿命長いね。
入場料が300円(懐古園+動物園のみ)から500円(諸々の美術館をみた場合)にはねあがるのがしゃくだが、一応島崎藤村記念館へ。小諸時代は『千曲川のスケッチ』が有名なのかな。
藤村は『若菜集』もさわやかだし『破戒』もテーマが深いし『千曲川のスケッチ』も豊かな描写で、まあそれくらいしか読んでないんだが、わりと好きなんだけど。
妻籠・馬籠で記念館にいったときも姪に手を出した話が出てたし、今回も教え子に手を出してトラブルになった逸話が展示されていて、ちょっとあなたいい加減にしなさいよと。小諸義塾では模範的な授業をした…って当たり前だからそれ。血の呪いだかなんだか知らないが血のせいだけじゃないような気がする。最初の奥さん(四女を生んで亡くなった冬子さん)のまめまめしい手紙とか展示されてて私は気の毒になったよ。
おそらく秋には素晴らしい紅葉が見られると思われる酔月橋&地獄谷。
水の手展望台からの眺め。千曲川の流れ。たしかに自然主義の象徴みたいな景色。
懐古神社におまいり。
山本勘助が大事にしていたという鏡石なんかがあった。ところでなんで長野の人って山本勘助のことを勘助って呼び捨てにするんだろ。風林火山の旗なんかも飾ってあったし、なんとなく小諸は上田の真田より甲斐の武田寄りな気がしたな。
天守台のあたりでは草笛教室だとかで『ふるさと』やら『思い出のアルバム』やら流れていてちょっと切なくなった。
時間が迫ってきたので、大正時代に作られ、じつは日本最古だという動物園を駆け足で抜けて三之門へ。動物園はライオンがオンオン吠えてて子どもがギャアギャア泣いてた。ペンギンは好意的に手?をパタパタ振ってくれた。ほかにもツキノワグマとかフラミンゴとか。
懐古園はなんだかいようと思えば一日いられる気がする。季節ごとに表情が変わりそうで違う季節にもまたゆっくりきたいなあと思う。
大手門から馬場裏町通りを入り、藤村プロムナードへ。
藤村が使った井戸。凍結防止だとかで使えなくなってた。
藤村の邸跡。
本町(と書くとどうもシンクレア・ルイスを思い出すなあ。あんな町じゃないと思うけど)に出て、おばちゃんオススメの小諸そば「そば七」へ。限定10食という石臼手打ちそば1200円の最後の一食にありつく。
辛めのつゆはいかにも信州!といったかんじで好み。蕎麦も腰が強くておいしかったです。
サービスで出てた揚げたカリカリの蕎麦。
道の曲がり角、光岳寺。門は小諸城の足柄門を使ってるらしい。門だらけね。中に入ったら犬に吠えられた。びっくりしたワン!(まあ一応ね…)
大手門もだけど小諸では今ふるきものを復興しようという文化的な動きがあるそうで、北国街道も昔ながらのお屋敷やらが残っていいかんじの風情。
ほんまち町屋館。中は見学無料で当時使われていたという巨大な味噌樽や酒樽があった。
旧脇本陣。
旧本陣。重要文化財らしい。
いよいよ懐古園へ。
上田からしなの鉄道で小諸へ。
懐古園、小諸そば、島崎藤村…小諸には一度じっくり来たかったのでうれしい。
観光案内所で地図をもらってオススメルートをきく。荷物も預かってくれて案内所のおばちゃん、超親切。
さっそく第一のオススメポイント、大手門へ。なんでも懐古園(小諸城)は昔は一帯を占める大きな城だったんだけども、時代が変わり、大手門と懐古園の入口、三之門の間に駅ができたということらしい。
門をくぐろうとした途端…「いらっしゃーい!」さっきのおばちゃんのパワーを2倍にしたようなおばちゃん2号が飛び出してきた。おなじジャンパーを着ているところを見ると、どうやらさっきのおばちゃん1号の仲間らしい。
「2階もあるからみてって!」の案内に促され、石の階段をあがって門の2階へ。以下、おばちゃんがみっしり説明してくれた大手門の話。
・大手門は昔は下級武士がつめていた軍事的に大事な門
・でも明治になり廃藩置県だかのときに手放すことになった
・そのときは借金がすごくてまず大手門から売りに出された。買ったお金持ちは門の2階を改造して懐石料理屋にした。
・そのときに門の中央部分はふさがれておおいがつけられた。
・門の2階はキレイなお座敷になっていたからすぐ懐石料理屋になり、1階から階段などが通された。
・その後、時代がたち、小諸駅ができて懐古園とわかれてからは荒れていた。ちなみに小諸駅を門の間に通したのは、当時蚕の栽培をしていて、お上のお達しには従いつつSLの騒音が繭の育成にさわらないよう、街中を外したため。
・数年前に懐石料理屋がつけた部分を取っ払い、ようやく当時の姿に復元。門の通り抜けもできるようになり、人が集まるようになった。
・大手門が残っているのは東のほうでは弘前城と小諸城くらい。弘前城との違いは小諸城には石垣があることである。
・当時は門の2階から石を落として敵をやっつけた。
…なるほど。おばちゃんが風の吹きすさぶ2階(今日ひと冬ぶりに開けたらしい)で丁寧に説明してくれたおかげで、ものすごい大手門に詳しくなりました。ありがとうおばちゃん!
しかし大手門だけで話が一話終わってしまった(T-T)
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旅行&休日日帰りの話をメインに本と食べ物の話がちょこちょこ出ると思います。
旅の下調べに使えるブログを目指したいです。